光と話せば……

作品タイトル「モンマルトルの灯」
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二口 正和 
(ふたくち・まさかず 会員)
1953 年富山県宇奈月町生まれ。76年東京造形大学絵画科卒業。81年にパリで1年間滞在。85年からパリ郊外のリラ市に在住。ル・サロン展風景画家賞(90 年、92年)、銅賞(08年)、ナショナル・デ・ボザール展特別賞(04年)ほか受賞多数。ル・サロン会友、ナショナル・デ・ボザール会員、NAC会員。


『パリの街角の灯に魅せられます。
 絵を描き始めたころから何故かしら夜の風景を描くのが好きです。
 窓々の灯、水面に映る光に自分は夢を見てしまいます。
 その窓にはどんな人が、どんな家族が、住んでいるのだろう・・・
 どこから流れてきた光だろう・・・
 一つとして同じ光の色彩はなく、ゆえに人々の持つドラマを感じるの
 です。
 独り描けば、心が静かになり、そこにあるのは流れる光だけです。
 いつの間にか風景と同化し、光と話している自分に気がつきます。
 夢中で筆を走らせ、一枚の絵が仕上がった時、光の中で生かされてい
 る自分を感じます。
 僕はたまらなくその時間が好きです。』

「どうして夜の絵を描かれるのですか?怖くないですか?」とよく聞かれます。
  それは自分自身説明がつかないのですが、高校生の時に富山地方鉄道の夜の駅舎、大学生の時には、リュックサックに画材を詰め自転車で井の頭公園へよく出か けたものです。春先になれば池に咲く夜桜を描いたのを記憶しています。フリーター時代は絵を描く時間が取れず、夜半を徹してとにかく毎日描き続けることを 自分に課していました。それは今も生活信条として生きています。
 パリに移り住み、日本の空の色彩と違いフランスの澄んだ光にみせられ、さらに描きたくなりました。
  広大な森にそそぐ新緑の木洩れ陽の中を歩くのが自分は大好きです。渡仏まもないころ知遇を得た友人のお誘いで、西南フランスのカオールへ幾度も長期にわた り出かけ制作しました。今思えばこの地を訪れたことが自分の画業の大きな転機といえます。それまでは古びた建物を主に描いていました。青空のもと、風にそ よぐ樹木、田園風景、花、素朴な家と人々、豊かに流れるロト川を目にし、描きたいという新たな感動が湧き上がってきました。夏の暑い光の中、連日汗だくに なりながらそれらと格闘している自分に、友人の一言、「まぁちゃん、水にもちゃんと色があるんだよ・・・」それからは見えるものを素直に描くことに勤めま した。これは易しいようでいて非常に難しい問題でした。動く陽光、雲、早く流れる水、ゆっくり流れる水、自分なりの感性を加えて表現できるようになりまし た。一年を通じ四季折々の風景を描くうちに、夜景の表現の仕方も変ってきている自分に気が付きました。それが自分にとって大きな喜びとなってきています。
  夜景を描く日は、早めに夕ご飯を済ませ暗くなる直前に現場に着くようにしています。移りゆく夜空の色彩や街の灯を見てイメージを膨らませ、描きたいという 気持ちになるまで歩き回るからです。スケッチはせず直接キャンバスに絵具をのせていきます。ただ困ったことにパリの多くの街灯はオレンジ色なので、パレッ ト上の色の識別ができないのです。白・黄・肌・オレンジ・朱の類は、皆同色に見えるのです。パレットに置いた絵具の配列を記憶し、風景の光の色そのものよ りもむしろ影の濃淡をよく見ます。光の部分をいくら描き込んでも光は発してはくれません。物が光を放つ為には影が必要です。耳を澄まし見つめていると、沢 山の色や形、温度、詩が見えてきます。描いている最中、何度か懐中電灯で出来具合を確認します。運河に面した街灯は白色なのでその苦労はありません。
  制作していると怖いどころか楽しいことが沢山あります。サン・ルイ島でささやく恋人たち、真夜中のパーティーをしている人たちから煙草はもとよりビールに コーヒー・・・、モンマルトルでは、今日は私の彼の誕生日なのとシャンパンまでが届きました。小さなお金も・・・。しかし話しかけられることが度重なる と、集中力が途切れ困ってしまいます。アトリエでは、描いてきた絵の光をつけたり消したりあれこれと試行錯誤しながら加筆します。
 いろいろなエピソードが絵の中に入り一枚一枚を見ればその時の情景が鮮明に思い出され、懐かしく暖かな気持ちになります。日々の暮らしの中で、どうしたら冷めることのない情熱、夢を持ち続けることができるか、そればかり考えています。

 

 

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